おじいちゃん
大好きだったおじいちゃんが天国にいきました。
小さいときからおじいちゃん、おばあちゃん子だった自分。
小学校1年の時におじいちゃんの家の隣に引っ越してきて、そこから毎日のように可愛がってもらってた。
お庭でのキャッチボールや、おじいちゃんが大好きだったガーデニングの手伝い。
おじいちゃんの家でおばあちゃんの手作りクッキーやチョコを食べながらの団欒とかね。
小さい時からいつもおじいちゃんとは笑ってたイメージがある。
ただ、自分も歳を重ねるごとに物事を把握できるようになり、おじいちゃんの笑ってるだけではなく厳しい一面も垣間見れてびびってた記憶もあるな〜
なぜか毎日のように庭で声だして木刀の素振りをしてたり、親父を自分の家に呼び出しては家まで聞こえるほどの大きな声で怒鳴り散らしてて、威厳のある親父が萎縮して帰ってきた時に恐怖を覚えたりね。
小学校、中学校で回りの皆は塾に通ってたけど、自分は「おじいちゃん塾」と呼ばれてた家庭教師的なもので勉強してて
慶応卒でとある銀行の社長をやっていたというおじいちゃんにとって
めちゃくちゃ簡単だったであろう国語と算数を、週に2、3回教えてもらってたんだけど
勉強中のおじいちゃんはとても厳しく親父が怒られてるときと同じよう感じになってたので、いつも泣いてお母さんに行きたくない〜って言ってたな〜
いざおじいちゃんの家に行くときはめちゃくちゃいい作り笑顔で行ってたけどね!
なんで怒られてたかは覚えてないけどおじいちゃんは理不尽な怒りはしないので、原因は自分にあったんだろうな〜って今では思ってる。。
それにおじいちゃん塾に通ってなかったらもっと馬鹿で落ちぶれていたと思うから今では感謝の気持ちでいっぱい!
ほんとにありがとう。
その他にもおじいちゃんの記憶で鮮明に覚えてるのが〜
友達が家に遊びに来た時に、自転車〓の並べ方が雑になってると、家まで木刀を持ってきて、
「たかし〜!! 自転車の停め方どうなってんだ!!! あれじゃぁ誰も出入りできないし見映えも悪い!早く直せ!」
と友達がいる前で怒鳴られたこと。
めちゃくちゃ怖くて友達の間でも「名物頑固じいさん」として有名になってたね−ww
ほんとに怒られるのか試したくてわざと自転車〓を変に並べるやつもいたくらい。
そいつも相当怒られてましたが−ww
優しい反面曲がったことがだいっきらいなおじいちゃん。
おじいちゃんのおかげで少し躾が身に付いたと思ってます。
これまたほんとにありがとう。
おじいちゃんの家系は勉強一家で、早稲田、慶応、学習院と卒業してからも大手企業でバリバリ働くエリート家系なのに、
孫の自分は
勉強はそこそこで、高校入っても卒業してもサッカーばかりやってておじいちゃん的には不愉快だったかもしれない。
けど高校サッカー選手権で全国大会出たときとか、選手名鑑みたいな雑誌を見せたときに誰よりも喜んで誉めてくれて、卒業してからも会うと必ず最近サッカーの調子はどうなんだとか、フットサルをやりだしたころなんか、フットサルとサッカーの違いはなんだ〜とかすごい気にかけてくれて、帰り際には必ず怪我には気をつけろよ!
がんばれな!
って応援してくれてた。
俺の怪我した情報とかも親父から聞き付けてめちゃくちゃ心配してくれてたりもした。
まだサッカー続けてるのは、どこかでおじいちゃんに誉められたいから続けてるのかもね。
亡くなった報告受けてからなかなか実感沸かなくて、葬式で遺体のじいちゃん見ても全然ピンときてなかったけど、今ゆっくり文字にして思い出を振り返ってると、悲しくて涙が出てきた。
長い間辛い病気と戦っててなかなか寝れなかったと思います。
ゆっくり休みながら
天国で坂本家を見守っててください。
88年間
お疲れ様でした。
そしてありがとうございました。
孫の隆より。
小さいときからおじいちゃん、おばあちゃん子だった自分。
小学校1年の時におじいちゃんの家の隣に引っ越してきて、そこから毎日のように可愛がってもらってた。
お庭でのキャッチボールや、おじいちゃんが大好きだったガーデニングの手伝い。
おじいちゃんの家でおばあちゃんの手作りクッキーやチョコを食べながらの団欒とかね。
小さい時からいつもおじいちゃんとは笑ってたイメージがある。
ただ、自分も歳を重ねるごとに物事を把握できるようになり、おじいちゃんの笑ってるだけではなく厳しい一面も垣間見れてびびってた記憶もあるな〜
なぜか毎日のように庭で声だして木刀の素振りをしてたり、親父を自分の家に呼び出しては家まで聞こえるほどの大きな声で怒鳴り散らしてて、威厳のある親父が萎縮して帰ってきた時に恐怖を覚えたりね。
小学校、中学校で回りの皆は塾に通ってたけど、自分は「おじいちゃん塾」と呼ばれてた家庭教師的なもので勉強してて
慶応卒でとある銀行の社長をやっていたというおじいちゃんにとって
めちゃくちゃ簡単だったであろう国語と算数を、週に2、3回教えてもらってたんだけど
勉強中のおじいちゃんはとても厳しく親父が怒られてるときと同じよう感じになってたので、いつも泣いてお母さんに行きたくない〜って言ってたな〜
いざおじいちゃんの家に行くときはめちゃくちゃいい作り笑顔で行ってたけどね!
なんで怒られてたかは覚えてないけどおじいちゃんは理不尽な怒りはしないので、原因は自分にあったんだろうな〜って今では思ってる。。
それにおじいちゃん塾に通ってなかったらもっと馬鹿で落ちぶれていたと思うから今では感謝の気持ちでいっぱい!
ほんとにありがとう。
その他にもおじいちゃんの記憶で鮮明に覚えてるのが〜
友達が家に遊びに来た時に、自転車〓の並べ方が雑になってると、家まで木刀を持ってきて、
「たかし〜!! 自転車の停め方どうなってんだ!!! あれじゃぁ誰も出入りできないし見映えも悪い!早く直せ!」
と友達がいる前で怒鳴られたこと。
めちゃくちゃ怖くて友達の間でも「名物頑固じいさん」として有名になってたね−ww
ほんとに怒られるのか試したくてわざと自転車〓を変に並べるやつもいたくらい。
そいつも相当怒られてましたが−ww
優しい反面曲がったことがだいっきらいなおじいちゃん。
おじいちゃんのおかげで少し躾が身に付いたと思ってます。
これまたほんとにありがとう。
おじいちゃんの家系は勉強一家で、早稲田、慶応、学習院と卒業してからも大手企業でバリバリ働くエリート家系なのに、
孫の自分は
勉強はそこそこで、高校入っても卒業してもサッカーばかりやってておじいちゃん的には不愉快だったかもしれない。
けど高校サッカー選手権で全国大会出たときとか、選手名鑑みたいな雑誌を見せたときに誰よりも喜んで誉めてくれて、卒業してからも会うと必ず最近サッカーの調子はどうなんだとか、フットサルをやりだしたころなんか、フットサルとサッカーの違いはなんだ〜とかすごい気にかけてくれて、帰り際には必ず怪我には気をつけろよ!
がんばれな!
って応援してくれてた。
俺の怪我した情報とかも親父から聞き付けてめちゃくちゃ心配してくれてたりもした。
まだサッカー続けてるのは、どこかでおじいちゃんに誉められたいから続けてるのかもね。
亡くなった報告受けてからなかなか実感沸かなくて、葬式で遺体のじいちゃん見ても全然ピンときてなかったけど、今ゆっくり文字にして思い出を振り返ってると、悲しくて涙が出てきた。
長い間辛い病気と戦っててなかなか寝れなかったと思います。
ゆっくり休みながら
天国で坂本家を見守っててください。
88年間
お疲れ様でした。
そしてありがとうございました。
孫の隆より。